2012年11月30日金曜日

血は争えないのか


 私が自己のアイデンティティーの分裂を自覚したのは、ずいぶん若い頃のことです。
 自分でも馴致できない矛盾した性格を、「20人格」と諧謔的に表現していたことを、古い友人は覚えているかもしれません。
 以前はそれを、小学校に入る前に1年弱アメリカで暮らしたことに起因するのではないかと自己分析していました。
 
 しかし、最近佐藤勝氏の本を読んでいて、沖縄人は「マブイ(魂)」を複数持っている、との記述に触れたとき、もしかするとこれなのかな、と感じました。
 
 ただ、佐藤氏と違うのは、私が自分に沖縄人の血が流れていることを、二十歳過ぎまで知らなかったことです。
 
 佐藤氏は久米島出身の母親に幼少期から故郷の話を聞かされて育ちました。

 私は大学を出て就職した1年目に鹿児島で父方の祖母の葬儀に出席したときに、父の沖縄出身の異母兄に対面するまで、祖父が沖縄出身であることを知らなかったのです。

 その後も特に沖縄の文化や歴史を深く学ぶことはなくすごしてきましたが、仕事やプライベートで沖縄に行く機会があったり、上記の伯父(琉球大学の教授でした)の教え子と偶然会ったりするなど、徐々に沖縄に触れる機会は増えていきました。

 そして浅田次郎氏のエッセイ(日本人の視点)や、佐藤勝氏の著作(沖縄人の視点)を通じて、自分の中にある沖縄人性の萌芽を感じています。

 けれど、最初に書いた通り、私がアイデンティティーの分裂を自覚したのは、そのはるか前になります。

 もちろん、佐藤氏の著作により、後付け的に記憶をすり替えてしまった可能性もないとはいえませんが、血の中に何かが潜むことはあるのでしょうか。

 私が感じた限りでは、私が佐藤氏の著作から自分の性格の中に共通性を見出した沖縄人性を、父に見出すことはできませんでした。
 
 私は基本的には、性格は環境要因で決定されると思っているのですが、血がマブイ(魂)を伝えるという考えにも、魅力を感じるようになりました。
 
 ついでですが、浅田次郎氏の小説や「勇気凛凛ルリの色」シリーズのエッセイ、佐藤勝氏の数々の著作を通じて、日本が現在の姿になった経緯などを考えてみることも、大事だと思います。
 
 佐藤勝著「国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて-」
             http://www.shinchosha.co.jp/book/475201/
 佐藤勝著「母なる海から日本を読み解く」
             http://www.shinchosha.co.jp/book/133175/
  

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